諦めずに掴んだ夢
日本ダービーと聞いて
「ピン」
とくる人はいるでしょうか?
お馬さんが好きな人は、分かるかもしれませんね。
日本ダービー、ジョッキーを目指した人は必ずしも手にしたい称号です!
このダービーで勝つことがどれほど難しいかを、イギリスの元首相、ウィンストン・チャーチルはこうたたえています!
一国の首相になるよりも、ダービーオーナーになることの方が難しい
という言葉を残しています!
首相になることよりも難しいって面白いですよねw
確かに、今まで何頭の名馬と呼ばれていた馬たちが挑戦をしても、実力だけでは勝たなかったのが、この日本ダービーです!
そんな日本ダービーに挑み続けて19年目のジョッキー、それこそが福永祐一騎手です!
彼は、福永洋一という、天才騎手を父に持つ完全なる騎手家系です。
しかし、そのお父さんである福永洋一騎手は、ある落馬事故を経験し、体が麻痺をした状態で、騎手を引退しました。
今現在も、その落馬事故の影響から、車椅子での生活が続いています。
そのため、父、福永洋一は日本ダービーを勝てないまま、引退を余儀なくされました。
そして、その息子である、福永祐一はというと、幼い頃は、サッカーなどをして、競馬などとは無縁の生活をしていました。
おそらく、落馬事故を経験しているという家族が、また事故を起こして欲しくないから、福永祐一にジョッキーを進めなかったんでしょうね。
そんな中、福永祐一ジョッキーは、ある日騎手に憧れ、競馬学校を目指します!
もちろん、家族の反対を押し切ってです!
その家族の反対を押し切りながらも、祐一騎手は、ジョッキーを目指し、無事、ジョッキーになれたのです!!
反対をしていたといえど、騎手になったことは、福永洋一騎手にとっては、嬉しかったのでしょうね。
そんな中、福永祐一騎手はデビューをして、デビュー戦、いきなり勝利をしてしまいます!
天才かよw
その後も、着々と勝利を続けていくのですが、ここで、世間からの冷たい目にあたります!
どうせ、親の七光りだろ!
自分の実力じゃないくせに
こんな、批判が福永祐一騎手を襲います、しかし、それを上回るほどの実力を見せつけ、数々のビッグレース勝っていきます!
しかし、どうしても1つ勝てないレースがありました。
それが、日本ダービーです!
何度も何度も挑戦をしますが、その挑戦は阻まれてしまいます。
1番人気に推された2012年の日本ダービーでも勝つことができませんでした。
そして、その翌年の日本ダービー、この年も、エピファネイアという、ダービーの後覚醒をするとても強い馬でしたが、ゴール前のラスト10mで武豊騎手が乗っていた、キズナという馬に抜かされてしまい、わずか数センチの差で負けてしまいます!
その後も何度も挑戦を続けますが、日本ダービーで勝つことはできませんでした。
41歳という年齢でもあったので、
このまま日本ダービーを勝てないまま引退
世間ではそのような空気さえあり、僕もなかなか勝てないなぁ〜と思いながら、見ていました!
そして、平成最後の日本ダービーと言われていた、2018年の日本ダービー、ワグネリアンという馬とのコンビで望みます!
この時の1番人気は、一年前から絶大な人気を誇り、おそらく日本ダービーを勝つであろうとされていた、ダノンプレミアムでした。
ワグネリアンは、5番人気で、まさか勝つだろうとは、みんなはあまり思っていなかったのです。
しかし、第四コーナーを回り、徐々にゴールに近づいていくに連れて
あれ?
もしかしたら勝つかもしれない。
と思いながら、ラスト10m、2013年のように最後に抜かされることもなく、一着でゴールを駆け抜けました!
なんと、ここに至るまで19年かかったのです!
もちろん、勝利をして馬場から上がってきた福永祐一騎手の目には涙が浮かんでいました。
父である、福永洋一の夢、幼い頃から七光りという目で見られてきたこと、ジョッキーになっても、19年も日本ダービーを勝てなかった、今までの苦労が報われ、夢が叶った瞬間でした。
19年は長いです。
いつ勝てるかも分からないまま、ただ淡々と努力をし続けた結果、今回のように福永騎手は夢を続けました。
とにかく、腐らず、諦めずやっていれば、いつか夢は叶う!!!
ということを福永祐一騎手から学びました。
僕ま、福永騎手のように、諦めず夢を追い続けたいですね!